ブレスト、2週間後に向けて

最初の授業で何を語るのか、そんなことを考えている。

グラウンドルールといってもいい。

 

基本的なこととしては、

1.遅刻をしない

2.授業中は私語をしない

 (無論活発な質疑は歓迎)

3.社会はどうなっているのか、どうしたらよくなるのか、そこはそんなところなのか、なぜそんなことが起きるのか、について自分の頭で考える

 

中学1年生には、

この学校を選んで入学してきた理由

 

高校1年生には、

中学から高校にステップアップしたこと

(もう義務教育ではないこと)

 

に思いを至らせるような投げかけをしたい。

 

初回は、ある種、オリエンなので、学校とはどういうところなのか、ということも考えてみてもいいかもしれない。

 

ほりえもんが著書で、極論すれば、学校は嫌いだし、不要だ、と主張しているが、彼のように、没頭したいことがある人には、学校という空間はなかなかマッチしない部分もある。そして、学校にいることが理由で、没頭したいことがあるのにできなくなる、という事態は回避したい。

一方、「いやー、なんとなく」とか、「親が言ったから」というような方々には、(僕を含めて誰かの)授業内外のかかわりによって、「これ面白いからもっと!!」と思わせらるようにしたい。

 

前職からの課題だが、本人のみならず、本人を通じて、その背後の組織・人々(これからは親がメインか?)の学ぶ意欲を高めていけるような工夫、配慮を続けていくことが自分の役割である。

 

何十年も生きている、そして、僕よりも長く生きている人々に、どのように影響を与えられるのか。打っても響かないときに、どこまで続けられるのか。今まではあきらめてもよかった(と言っては言い過ぎかもしれないが笑)。しかし、これからはそうはいかなくなる。

 

そんな時に思い出す言葉。

 

『「持たざる国」の資源論―持続可能な国土をめぐるもう一つの知―』(佐藤2011)

ある潮流が最終的に勝利したからと言って、なぜそれをその進行速度を緩やかにしようとする努力が無駄であったことの証拠と考えなければならないのか。

また、なぜ、そうした措置の狙いが、まさしくその措置が達成したこと、すなわち、変化の進行速度を減速させることにあったと判断しないのか。一連の発展を阻止するという点においては、必ずしも有効ではないにしても、そうした措置がまったく効果がないということにはならない。変化の速度は、しばしば、変化の方向それ自体に勝るとも劣らず重要なのだ。