昔の記事のバックアップ 20140316

 

@長岡京駅前モス

師匠とのコミュニケーション
 
face to faceのみがコミュニケーションのあり方ではない。
「当たり前だ(のクラッカー)」と仰る方も多かろう。
電話、メール、Facebookをはじめ色んなツールもあるし。
 
しかし、書物を通じたコミュニケーションも存在する。
 
この知見を私は内田樹氏(の本)から得た。
 
他者に伝えたいことがあるが故に文章を書く。すなわち多くの文章は読み手を想定している。
(ゆえに書物は本来的にコミュニカティブであろう。)
 
読み手側からみれば、眼前の文章がいつ、いかなる言語で書かれていたとしても、著者の考えを(好意的に、批判的に)理解しようとする時点でコミュニケーションは成立するのではないか。
 
そのような考えに得心した自分には幸いなことに、多くの師匠がいる。未だお会いしたことのない、あるいはもうお会いすることができない(私が一方的に師匠と思っている)方が殆どであるが笑
 
因みに筆頭の師匠は内田樹氏であるが、氏は大瀧詠一氏を師匠とされ、ナイアガラーである。内田樹氏を師匠と考える人々を何と称すればいいのか。知っている(あるいは自らを◯◯と呼んでいる)方がいればご一報いただきたい。