教員も学期中に有給取ろうよ

今年もあと1ヵ月と20日ほど。

教員も普通の人なわけで、体調不調が続いた人も、身内に不幸があった人も、いろいろおられる。

そのような、急遽の不在にも対応できるのだから、半年前から「いついつ1週間休みます」というのは、実現できるよな~と思う。

学期中は授業つぶしてはならない、まぁ、そうなんやけど、授業があって旅行に行けない、自己研鑽できない、みたいなことはナンセンスだな~と思う。

そうやってつぶした分、培ったことを授業に還元すればいいわけで。

というようなことも、実際に行っている学校って、どのくらいあるのだろうか。

たぶん、そういうことを認めたほうが、いい人材をとれると思うし、画一化しない、面白い人が集まる学校になるんでは?なんて思う。

結局、自分の趣味、本業以外でやりたいことを実現できるような環境を作りたいという本音なのだが・・・笑

学校に来て思うことは、閉じすぎているんよね。

他の教員に対しても、保護者に対しても。

もっとオープンに授業も、それ以外も公開して、他人の目を取り入れたほうがいい。

そうすることは、自分と違う意見が出くわして面倒くさい部分もあるけど、「批判的」「建設的」という観点を忘れなければ、スキルアップのいい機会になると思うんやけど。

で、自分の方針、学校の方針がクリアであれば、自分と違う意見についても、受容はするけど、「その意見は方針に合わないので採用しません」と言えると思うのだが。

 

つらつらと書いてしまった。

組織のパフォーマンス向上とか、経営視点とか、部活動のこととか、また別途書こうと思う。

 

 

ブレスト、2週間後に向けて

最初の授業で何を語るのか、そんなことを考えている。

グラウンドルールといってもいい。

 

基本的なこととしては、

1.遅刻をしない

2.授業中は私語をしない

 (無論活発な質疑は歓迎)

3.社会はどうなっているのか、どうしたらよくなるのか、そこはそんなところなのか、なぜそんなことが起きるのか、について自分の頭で考える

 

中学1年生には、

この学校を選んで入学してきた理由

 

高校1年生には、

中学から高校にステップアップしたこと

(もう義務教育ではないこと)

 

に思いを至らせるような投げかけをしたい。

 

初回は、ある種、オリエンなので、学校とはどういうところなのか、ということも考えてみてもいいかもしれない。

 

ほりえもんが著書で、極論すれば、学校は嫌いだし、不要だ、と主張しているが、彼のように、没頭したいことがある人には、学校という空間はなかなかマッチしない部分もある。そして、学校にいることが理由で、没頭したいことがあるのにできなくなる、という事態は回避したい。

一方、「いやー、なんとなく」とか、「親が言ったから」というような方々には、(僕を含めて誰かの)授業内外のかかわりによって、「これ面白いからもっと!!」と思わせらるようにしたい。

 

前職からの課題だが、本人のみならず、本人を通じて、その背後の組織・人々(これからは親がメインか?)の学ぶ意欲を高めていけるような工夫、配慮を続けていくことが自分の役割である。

 

何十年も生きている、そして、僕よりも長く生きている人々に、どのように影響を与えられるのか。打っても響かないときに、どこまで続けられるのか。今まではあきらめてもよかった(と言っては言い過ぎかもしれないが笑)。しかし、これからはそうはいかなくなる。

 

そんな時に思い出す言葉。

 

『「持たざる国」の資源論―持続可能な国土をめぐるもう一つの知―』(佐藤2011)

ある潮流が最終的に勝利したからと言って、なぜそれをその進行速度を緩やかにしようとする努力が無駄であったことの証拠と考えなければならないのか。

また、なぜ、そうした措置の狙いが、まさしくその措置が達成したこと、すなわち、変化の進行速度を減速させることにあったと判断しないのか。一連の発展を阻止するという点においては、必ずしも有効ではないにしても、そうした措置がまったく効果がないということにはならない。変化の速度は、しばしば、変化の方向それ自体に勝るとも劣らず重要なのだ。

昔の記事のバックアップ 20140315

説明すること

ルールの説明をすることは文面の解説では意味がない。(わけではないが、「じゃ、この場合は?」「こんな時には?」と際限がない。)

重箱の隅のつつき合いを助長することになるから。

更に言えば、セルフジャッジの助長にもつながるだろう。

選手にとって重要なことは、勝つためにプレーに集中することである。

すなわち、グレーゾーンのつつき合いにエネルギーを選手に使わせるのは(戦略も無論重要だが)本来ではない。

とするならば、ルールの解説も「選手は〜〜に考えてプレーした方がいいで!なぜなら〜〜な方がメリットがあるから」とした方が納得感が高くなりうる。

選手目線に立てるか?

高飛車と思われてしまうか否か?

選手との信頼関係はこういうところから醸成される。

ということを学んだ誕生日前日。

昔の記事のバックアップ 20140316

 

@長岡京駅前モス

師匠とのコミュニケーション
 
face to faceのみがコミュニケーションのあり方ではない。
「当たり前だ(のクラッカー)」と仰る方も多かろう。
電話、メール、Facebookをはじめ色んなツールもあるし。
 
しかし、書物を通じたコミュニケーションも存在する。
 
この知見を私は内田樹氏(の本)から得た。
 
他者に伝えたいことがあるが故に文章を書く。すなわち多くの文章は読み手を想定している。
(ゆえに書物は本来的にコミュニカティブであろう。)
 
読み手側からみれば、眼前の文章がいつ、いかなる言語で書かれていたとしても、著者の考えを(好意的に、批判的に)理解しようとする時点でコミュニケーションは成立するのではないか。
 
そのような考えに得心した自分には幸いなことに、多くの師匠がいる。未だお会いしたことのない、あるいはもうお会いすることができない(私が一方的に師匠と思っている)方が殆どであるが笑
 
因みに筆頭の師匠は内田樹氏であるが、氏は大瀧詠一氏を師匠とされ、ナイアガラーである。内田樹氏を師匠と考える人々を何と称すればいいのか。知っている(あるいは自らを◯◯と呼んでいる)方がいればご一報いただきたい。

昔の記事のバックアップ 20140318

『街場の五輪論』読了

手書き日記をやめました。

一旦保留ということで。
でも手書きでアイデアが纏めることは重要と思うので、臨機応変な対応をしようと思う。
(堤研二先生の「人間がちゃんと考えられるのは手書きのスピードでや」というのに深く同意致す)
 
『街場の五輪論』(内田・小田嶋・平川 2014)読了。
 
内田氏のブログを見て購入。
【紹介文】
東京五輪の招致がさっぱりうれしくない三人のおじさんたちが「だいたい 64 年の東京五輪からしてろくなものじゃなかったよ」という昔話から始めて、五輪というイベントの「いかがわしさ」について語ります。五輪めざして練習しているアスリートのみなさんには申し訳ないけど、このイベントいくらなんでも「政治」と「金」の匂いがきつすぎますよ。
 
各論は置いておくとして、平川氏のエピローグ〜何故わたしたちは、国民的祝祭に異を唱えるのか〜に共感と懐かしさを感じた。
 
(20代半ばで、おじ様の文章を読んで懐かしいとはいかなる了見か?と言われるかもしれないが。。。
平川氏を「おじ様」扱いしたことについても一言あるかもしれない。。。)
 
共感した部分を引用する。
「もうじき、建設のラッシュが始まり、いやがおうでもオリンピックに向けての熱狂の空気が支配的になるだろう。しかし、わたしたちはこの種の熱狂が、必ずしも私たちに幸福な未来を約束してこなかった歴史に学びたいと思う。そして、このあまりに圧倒的な祝祭気分に、あえて水を差しておきたいと思う。
  わたしたちが、何と言おうが2020年東京オリンピック招致は決定した。
  よほどのことがない限り、オリンピックは実施されることになる。
  お前たちのやっていることは、負け犬の遠吠えであり、無駄骨だと言われるかもしれない。
  それでも、遠吠えする意義はある。
  このような圧倒的なオリンピック翼賛の空気の中でも、反対する意見はあったのだということ、すくなくとも、この頃までは、まだこういう意見を自由に発表できたのだということだけは、記録に残せる。」(前掲書183〜184頁)
 
共感したのは、修士論文執筆およびその調査の際に似たようなことを考えていたからである。
修士論文と言っては指導教官の先生方に「あんなのは論文ではない」と言われるかもしれないが笑)
修士論文では、過疎化著しい農山村部における小水力発電事業について書いた。
固定価格買取制度が始まり、再生可能エネルギーブームの一方で、戦後すぐ開始された小水力発電も「地域に根ざしたエネルギー」であり、存続の必要性があるはずだ、と述べた。
 
経済的にペイしないがゆえに、事業存続を放棄する。ビジネスとしては合理的だが、今後の日本を考える上では、「ちょっと待って!」と申したい。そんな気分であった(無論今もそうである)。
 
更に言えば、このアイデアには元ネタがある。
 
(小水力発電をテーマとした背景には、「資源管理」「資源論」への興味があった。その際に、師匠とさせていただいたのが佐藤仁氏である。(彼も直接お会いしたことはないのだが。。。))
 
『「持たざる国」の資源論ー持続可能な国土をめぐるもう一つの知ー』(佐藤 2011)で、ポランニーを引用されていた。(詳細の頁数を失念)
 
「ある潮流が最終的に勝利したからといって、なぜそれをその潮流の進行速度を緩やかにしようとした努力が無駄であったことの証拠と考えなければならないのか。
  また、なぜ、そうした措置の狙いが、まさしくその措置が達成したこと、すなわち、変化の進行速度を減速させることにあったと判断しないのか。
  一連の発展を阻止するという点においては、必ずしも有効でないにしても、そうした措置が、まったく効果がないということにはならない。変化の速度は、しばしば、変化の方向それ自体に勝るとも劣らず重要なのだ」
 
手書き日記をやめたことと何が関係あるのだろう?と訝しんでいらっしゃる読者もおられるだろう。読者はいるのか??笑
 
空気を読まない発言でも、ブームに水を差す発言でも、自己完結では影響力を行使しえない。
発信してこそ、誰かが「そうかもね」「馬鹿野郎!」と思う。
その賛否は重要ではない(ことはないが、第一の優先事項ではない)。
立ち止まって考えてみる、その機会の提供こそが狙いだからである。
 
立ち止まって考えることすら許容されない、「スピード感ある」ビジネスの現場で、どれくらいの人が立ち止まってくれるのだろうか。
かくいう僕も会社勤めをしているわけだが。。。
やはり「ビジネス」は相に合わないのだろうか。
 
春の陽気を感じると、殊更に自分のあり方を顧みる機会が多くなる。
そんな中で徒然に書いた。

昔の記事のバックアップ 20140319

研修の効用?

研修後同期と飲みに行った。

本社組は仕事に戻ったが。。
流石はグループ会社、支店、出向メンバーの直帰予定であるがゆえになせるわざ。
といっても、各1名なので、計3名である。
 
 
「同期は大切にしなあかんで」といわれてきた。
僕は今でも違和感を感じる。
「大切にする」ってのはなんだろうか?
(自社で言われる場合には)多くの場合、「同期と「仲良く」しましょう」を意味する。
おそらく、僕の違和感の原因はここにある。
 
僕は、同期は友達である前に、1ビジネスパートナーである、と思っている。
 
(「同期とは仲良くするもんだ」という価値観を押し付けられたくないという、自分中心的な幼稚な考え方から抜け出せていない、とも思う。)
 
久々に会った同期は、自分の目標達成のために、「僕を活用したい」というスタンスだった。
このスタンスが爽快だった。
無論、僕も彼を活用すると可能性が広がるな!と感じた。
 
本社色に染まっていない人たちだからか笑。
僕が上記のようなスタンスゆえに、それに合わせてくれたのか。
定かではない。
 
とまれ、久々に感じた「何かできるんではないか」というワクワク感。
本当に久々の感覚だった。
逆にいうと、仕事に対して消極的になっていた期間も多くあった。。。
その点を痛切に後悔できたことが一番の収穫だった。
 
キャリアビジョンを描く本日の(昨日の)研修よりも、よほど気づきの多い場であった笑。
研修本来の目的が達成されないカリキュラムであったのは残念だが笑。。
 
 
余談
自社の商材に対する圧倒的な自信。
「自信ないもん売っとん??」と言われたが。。。
他のビジネスパーソンは、この点にどう向き合っているのか。
特に、形のない商材の場合。